今日はクリスマス・イヴ・・

今年も残すところ後1週間となってしまい、そして今日はクリスマス・イヴ・・。
巷ではこんな世相でも、それなりに賑やかに華やいでいるのだろう。
omiko・sanのブログを拝見していて50年ぐらい昔の古い時代を思い出した。


その頃ジィジは9歳くらいだったかなぁ〜。
当時、ジィジは雄別炭鉱のあった炭住街に住んでいた。
ジィジが暇を見つけては出掛ける、あの“かくれんぼ”のある山間の町だ。
当時の炭鉱街の人口は1万人程もいたのだろうか?
阿寒町の殆んどの人口はそこに集まっていたような気がする。
やはり花形産業だった石炭産業は、相当に景気が良かったのだろう。
昭和30年半ばの雄別炭鉱は好景気であり、結構賑わっていたものだ。
当時では珍しい、テレビや自家用車のある家庭も多かったように思う。
しかし、炭住街の社宅は決して立派な物ではなかった。
一部の職員(大卒のエリートetc)さん達は立派な社宅(外壁・モルタル塗)
に住んでおり、家の中には浴室があり、当然ながら水道も引かれていた。
それに比べてジィジ達の住む社宅はと云えば、2軒長屋の下見板張りで、
夏は涼しく冬は厳寒、当然、水道など引かれていない粗末な造りだった。
その6畳二間の社宅に家族5人(両親・祖父・自分・弟)が暮らしていた。
ジィジには6歳違いの弟がいるのだが、その弟が物心ついた頃からだろうか?
我が家でもクリスマスツリーを飾るようになった・・と、記憶している。
でもクリスマスだからと云ってもクリスマスケーキなどは無く、
その日のご馳走は「肉の入っていないカレーライス」だったかなぁ〜。
丸天をサイコロ状に切った物が肉の代わり。 でも美味かったなぁ〜!!
そしてクリスマス・イヴの夜・・・・ジィジと弟が寝静まった後・・・・
親父とお袋が、ジィジと弟の枕元にプレゼントを置いてくれていたものだ(^^)
ジィジの家は決して裕福ではなかったのだが、親としての愛情だったのだろう。
当然、プレゼントはさほど高価な物ではなく、在り来たりの玩具程度だつたが・・
それでも朝起きた時には、嬉しくて嬉しくて弟と家の中を飛び廻ったものだ。
その両親もすでに他界したが、今にして思えば・・


“とても幸せでとても懐かしく、とても嬉しかった”


思い出の一コマだ。 天国の親父とお袋に感謝・感謝。


今の時代はたくさんの高価な物に満ち溢れているが・・・・ でも、
愛しい我が子に贈るプレゼントは、親としての慈しみの心であってほしいと、
ジィジは願って止みません。


  “ Merry Christmas ”