あるエッセイから

飛島圭介 さんと云うエッセイストの方がD新聞に連載している
記事におじさん図鑑というのがある。
ジィジはこの方のエッセイが結構好きで殆んど目を通している。
過日、次のようなエッセイが掲載されていた。
以下はその全文。
●タイトルは《今在る自分》
  大金持ちの人から、「金銭で幸せは買えない」などと言われたら、
 どんなに誠実に諭されても、わしらカチンとくる。
  「だとしたら、試してみたいから、あなたの財産を私にくれませんか。
  それで幸せを金銭で買えるかどうかやってみます」
  たぶん大金持ちは、哀れむような目でいちべつすると、何もくれずに
 その場を去るだろう。
  大変に貧しくその日の生計にも苦労している人が、「人間、清貧が
 何よりだ。貧しいからこそ精神は高潔なのだ」と言うと、なんだか
 負け惜しみめいて聞こえる。こういう人が、何かの拍子に大金を手に
 入れると「清貧」はかなぐり捨て、「濁富」におぼれたりしそうだ。
  大変な高学歴の人が、「学歴なんかくだらないね」などと言うと、
 だれだってムッとする。
  今在る自分の居場所を、正確に把握している人は、身を飾らない。
 ありのまま、身の丈で生きているから偉そうにしない。自慢しない。
 卑下しない。それを立派だとも思わない。

 「そんな人はこの世にいないよ」って、そんなことありません。
 いるよ。今、これを読んでいる(有名人ではない)あなただ


彼の文章は実に風刺が効いており、絶妙なタッチで的を得ていて面白い。
特に太字の部分の表現にはまっこと共感し、感心する。
 今在る自分の居場所
  自分らしさを見失わない領分(領域)を指す意味だと解するが・・・・
  なかなかのものである。