母校の閉校

平成20年3月2日、ジィジが学んだ小学校がその98年の歴史に幕を下ろした。
釧路市阿寒町にあるその小学校とは、現在は釧路市立となったが
以前は(合併前は・・)阿寒町立の “布伏内(ふぶしない)小学校”
校庭に大きな楡の木がそびえ立つ、とても特徴のあるジィジの母校だった。
ジィジが昭和30年から昭和36年までの毎日、元気よく通った懐かしの母校だ。
かって雄別炭鉱が隆盛を誇っていた頃には、1,200人程の児童で溢れていたものだ。
当時、ジィジ達のクラスの生徒数は60人弱の、今で云うマンモス学級。
それが炭鉱の斜陽化と共に人々がどんどんと離山して行き、当然ながら児童数も激減。
過疎化となった現在の児童数は僅かに3人だそうだ。
シンボルの楡の木の下からは、これまでに3,138人の児童が巣立ったそうだ。
ジィジの弟も、そして甥や姪もこの小学校から大きく巣立って行った。
ジィジも1/3,138の一人になるのだろう。
これで先に閉校した中学校と併せて、少年時代に学んだ母校は全てその姿を消した。

これも時代の流れで、仕方の無い事なのだろうが・・・・ 寂しい限りである。


そんな母校に98年の感謝を込めて・・・・
  “ 楡の大木(き)は  巣立つた子らの  宝物 ”

  我が懐かしきの母校よ、まっことご苦労様でした。