ジィジの珍道中ロンドン記 〔12〕

【10月10日】 待望!ビートルズの聖地 リヴァプール
“2008年10月10日”
この日はジィジにとって、一生涯決して忘れる事が出来ない1日となった。
今日はシスル・ユーストンから、いよいよリヴァプールへと向かうのです。
ユーストン発/AM9:17⇒リヴァプール着/AM11:47

これが特急・ヴァージントレイン
2時間30分程でリヴァプール(Liverpool)に到着します。

走り出して郊外に出ると、このような田園風景が暫らく繋がり目を楽しませてくれます。
この田園風景はノーサンプトン(Northampton)辺りだったでしょうか?

ヴァージントレイン車内の様子。
座席は少し狭く感じられましたが、でもなかなか快適な旅です。
只、パリ日帰りのユーロスターの時にも感じましたが・・・・
こちらの特急は日本と違って、所々に対面式のボックス席がある。
向かいの席に、全然知らない人(当然、外国人・・笑)が当たり前の様に座っている。
ジィジとバァバにはそれが・・・・ どうにも落ち着かない!!
ジィジはお願いだから「話しかけないで・・」と、心の中で祈っていた(笑)

スタッフォード(Stafford)を過ぎると・・・・

やがて、アイリッシュ海の海原が見えて来ました。
ここはウォーリントン(Warrington)を少しばかり過ぎた辺り。
もう直ぐリヴァプールです(^^)

程なくして定刻通りリヴァプール(Liverpool Lime Street 駅)に到着。
駅には、今日のツアーガイドをお願いした阿部さんが出迎えてくれました。
いよいよ45年間・・・・ 待ちに待ったBeatlesの聖地です!!
ジィジ、ホームに感動の第一歩を踏みしめた。
とうとう・・遂に、やって来ました (超・感激;^^;)


それではこの日、ツアーで訪れた場所を順に追ってご紹介する事に・・・・
★先ず最初に訪れたのが、リヴァプールで一番収容人員が多くゴージャスな劇場の、
エンパイアー・シアターEmpire Theatre)

この劇場で、アマチュア時代にクォリーメンとして、そしてプロとなってからはBeatles
として、1962年〜65年迄の間に7回の公演をした劇場です。

★エンパイアー・シアターの道路向かいにある
セント・ジョージズ・ホール(St.George’s Hall)
コンサートホールや裁判所などが入っている建物らしいのですが・・・・。
正面に古い銅像もある事だし、おそらく由緒ある歴史の深い建物なのでしょうネ。

★次に案内された場所は、1962年8月23日ジョンとシンシアが婚姻届を出した
戸籍登記所( Registry Office )
因みに立会人は、ポール&ジョージ&ブライアン・エプスタインシンシアの兄夫婦
の5人だったとか。

★そしてここが、ジィジが神とも崇めるジョン・レノンが産まれた産科病院。
オックスフォード産院(Matemity Hospital)
1940年10月9日ジョンは此処で産声をあげました。
外壁にはその内容を説明する、プレートや記念碑が燦然と埋められていました。
1980年、狂信的な男の凶弾に倒れた偉大なアーチスト、ジョン・レノン
彼が駆け足で通り過ぎた、余りにも短い40年の歴史が此処から始まったのです!
ジィジが産まれる8年も前に・・・・・・。

眼鏡の奥に覗き見えるジョンの物悲しそうな瞳が、妙に印象的で深く心に残りました。

ジョンとシンシアが最初に住んだフラット(アパートorマンションみたいなもの?)
ここで2人は新婚生活をスタートさせたのです。
当時、シンシアは既にジュリアン(ジョンの長男)を身籠っていたそうです。

★ジョンが通った美術学校。
リヴァプール・カレッジ・オブ・アート(Liverpool College Of Art)
ジョンはこの学校でシンシアと巡り会い、美術的に大きな影響を受け無二の親友と
なるスチュアート・サトクリフとも出逢ったのです。

その美術学校の生徒たちが製作した作品が歩道に何気なく置かれていました。

全て1個づつ「石で作ったトランクやギターケース」が積まれたモニュメント。
まるで古ぼけた本物のトランクの様で、見事な出来栄えの作品の数々。
とても街並みにマッチしており、全く違和感などありません。
道行く人も、全くと云って良いほど気になど掛けていないのが印象的でした。

★学生時代にジョン達の溜まり場だった、美術学校近くのパブ
パブ・イェ・クラシック(Ye Cracke)
現在も50年程前と何も変る事なく営業していたのには驚きでした。
準備中だったのですが、親切でフレンドリーなママさんに招かれて店内へ。
ジィジは店内の様子をこの目にしっかりと焼き付けて来ました。
当時、彼等は学校を抜け出しこの店で酒を傾けながら、音楽や美術や人生・哲学
などについて熱く語り合っていたのでしょうネ。 “感激の極み!”

ジィジお気に入りのワンカット(笑)

帰りしな親切なママさんと一緒に記念写真も・・・・(^^)
★次に車に乗って向かったのがマドリン・ストリート(ディングル地区)にある
リンゴが生まれ育った家(Ringo’s House)
1940年7月7日リンゴ(リチャード・スターキー)はこの長屋で生れました。

両親が離婚する3歳までの幼年時代を、此処で暮らしたのです。
でもこの建物は都市再開発事業?の為、近い内に取り壊されるそうですが・・・・。

その後(※おそらく、Beatlesが有名に成った後に住んでいた人なのでしょう・・)
なかなか粋な人が住んでいたらしくレンガの外壁にBEATLESの文字が・・

★これはエンプレス・パブ(The Empress Pub)リンゴ2軒目の家
エンプレス・パブは、リンゴの母親がバーテンダーとして働いていた店で、リンゴ
ファースト・アルバムセンチメンタル・ジャーニーのジャケット表紙になったパブ。
そしてその脇の道路沿いに、リンゴの2軒目の家があったそうです。

★ここから暫らくはペニー・レーン(Penny Lane)の話を。
これが現在の通りの標識。

そしてこれは当時を偲ばせる超・レア物の手書きの標識。

この様に何の変哲も無い通りですが、ここを下がった所がペニー・レーン・ロータリー

で、ここがペニー・レーン・ロータリーです。
ここからあの名曲・ペニー・レーン(Penny Lane)が生まれました。
 Penny Lane
 ♪ In Penny Lane there is a barber showing photographs 
   (ペニー・レーン・ロータリーには写真を飾った床屋さんがあって・・・)
  
※ペニー・レーンの由来はその昔、周囲に住む住民が1ペンスずつ出し合って
  造った道路なので、そう呼ばれるようになったのだそうです

ロータリーの左側に見えるのが歌詞に出て来るモデルとなった理髪店
理髪店に向かう道すがら、あまりの嬉しさに・・・・
ジィジは思わずペニー・レーンをみんなに聞こえないように口ずさんでいましたョ(笑)

残念ながら歌詞に出てくる、頭を刈ったお客さんの写真は飾られてはいませんでした。

★ここはジョージが6歳〜19歳までを過ごした家(George’s House)
彼はここでギターを独学でマスターし、同じ中学校に通うポールと知り合い、やがて
偉大なTHE BEATLES のメンバーと成っていくのです。
リンゴの家同様、壊されずに今も残っているのには感動せずにはいられません。

過ってジョージが歩いただろう家の前の道路で愛孫“拓”の元気な事と云ったら(^^)

★そして車の中からでしたが、ここは彼等 4人のBEATLES を世界に羽ばたかせた
あの敏腕マネージャーブライアン・エプスタインが、生前住んでいた豪邸

★ここはジョンが5歳頃からミミ伯母さんと暮らした家(John’s House)
ジョン
両親の離婚後、母親の再婚のためミミ伯母さん(メアリー)に預けられ、多感で不安定な
少年時代〜青年時代を23歳までこの家で暮らしました。
おそらくジョンはこの家で、有り余る才能を磨き・蓄えていったのでしょう。
今はオノヨウコsanの所有で、ナショナル・トラストの保存・管理下にあります。
ナショナル・トラストhttp://www.aflo.com/nationaltrust/?gclid=CMCF-PCy3JkCFUcwpAodn2tjVw

その家の前で“父・息子・孫三代”の記念撮影と洒落込みました(^ー^)

★次にジョンとポール運命的な出逢いをした場所として有名な、
セント・ピーターズ教会(St.Peter’s Church)と、
あの大ヒット曲“エリナー・リクビー”のモデルとなった墓碑(Eleanor Rigby)

 Eleanor Rigby
  ♪ Eleanor Rigby died in the church and was buried
    (エリナー・リクビーは教会で死に、その名も埋葬され
     along with her name Nobody came. ♪
      忘れられる)     (葬儀にはだれも来ない)
  http://www.youtube.com/watch?v=XRM-_HZ7IOg
歌詞に出て来る女性と、この墓碑の女性とは全く関係が無いようですが・・。
何故って?・・・・ DIED. DEC. 24. 1927
ジョンが生まれる13年も以前にこの女性は亡くなっているのですから。

1957年7月、この広場(裏庭)でジョンポールは初めて出逢いました。
ジョン&クォリーメンのミニコンサートに、友人に誘われたポールが聴きに来た時の事。
まだまだあどけさが残るジョンが16歳、ポールはまだ15歳になったばかりの事でした。
そしてポールは誘われてクォリーメンに加入、続いてジョージも加入する事に・・。
“The Beatles 誕生に繋がる運命的な出逢いの原点が此処にありました。

お待たせしました ストロベリー・フィールド(Strawberry Field)です。
ストロベリー・フィールド(いちご畑)とは救世軍の孤児院の名称の事で、幼少時代、
ジョンはミミ伯母さんに連れられてしばしばここへやって来ました。
当時のジョンの云いようの無い心の傷や深い悲しみの記憶が、やがてこの名曲
Strawberry Fields Forever の誕生にとても大きな影響を与えたのです。
 Strawberry Fields Forever
   ♪ Let me take you down,
     (きみを連れて行きたい)
    ‘Cos I’m going to Strawberry Fields.
     (いちご畑に行くんだから)
    Nothing is real
     (何物も現実ではなく)
    And nothing to get hungabout.
     (あくせくすべきこともない)
    Strawberry Fields forever. ♪
     (永遠のいちご畑)
http://www.youtube.com/watch?v=ZcCMGkYpSMs&feature=related

孤児院だったその建物は、残念ながら2005年に閉鎖されたようですが、
出来る事なら“Strawberry Fields Forever♪(いちご畑よ永遠に)
であってほしいと、只々願うジィジです・・・・

★ここはポールが最も長く住んだ家(Paul’s House) 
引越しがとても多かったポール一家は、1955年にこの家に移り住みました。
ポールはよくジョンと2人でギターの練習をしていたそうです。

ここでも“拓”は元気一杯にチョコマカと・・(^^)
この家も現在ではナショナル・トラストの保存・管理下に。

★ここが Penny Lane の曲の中で歌われた“砂時計を持った消防夫”が勤務して
いた消防署。
 ♪ In Penny Lane thare is a fireman with an hourglass 
   (ペニー・レーン・ロータリーには砂時計を持った消防夫がいて・・)
右上の丸い紋章にはCITY・OF・LIVERPOOL・FIRE・SERVICEの文字が・・。

★港町リヴァプール波止場(埠頭)
寄港する外国船の船員達から、色々な音楽がこの Liverpool に届けられ、それらを
源にたくさんの新しい音楽がここ Liverpool から生まれたのです。
いわゆる BEATLES に代表される “Liverpool Sound” と云うやつです。


ここからがいよいよクライマックス
North John ST. からMathew Street (通称:Beatles Street)に入る右角に
“HARD DAYS NIGHT HOTELが悠然と建っています。
その一角から見下ろすジョンの銅像が、ジィジ達を迎えてくれました。

HARD DAYS NIGHT HOTEL の詳細はこちらでどうぞ。
http://e-days.cc/features/beatles_england/hotel/
マシュー・ストリート/Mathew Street(通称:Beatles Street) です。
思いのほか狭い通りですが、そこには BEATLES の足跡が一杯に溢れています(^^)
そうです。 ジィジにとっては「秘宝館」みたいな通りなのですョ。
見るもの全てが超・嬉しい“大判・小判が・・ざっくざく”(笑)

そして遂に辿り着きました。
先ずは伝説のキャバーン・クラブ(The Cavem Club)です!!
左側の写真が1973年当時までクラブの出入り口の有った場所で、右側の写真が
1984年レプリカとして復活した現在の出入り口。

「※元来、このクラブは1957年当初ジャズクラブとしてオープンし、1973年まで続
いていたが、その後地下鉄工事の為に惜しまれつつ取り壊されてしまい、1984年に
レプリカのキャバーン・クラブとして復活したそうです」

この階段を下って行くと、地下には当時を彷彿とさせるクラブの佇まいが・・。

キャバーン・クラブ内部の様子です。

ここが過って BEATLES が延べ292回も出演したと云う伝説のステージです。
つい40数年前、彼等はこのステージから大きく世界へと羽ばたいて行ったのです。
もう只々“感無量!!”  ジィジは知らぬ間に涙ぐんでいましたョ。

★キャバーン・クラブのはす向かいにある、BEATLES 行き付けのパブ。
パブ・グレープス(The Grapes)
ビートルズの4人は楽屋代わりのように利用していたそうですが・・・・
ここで少々事件が勃発。 それは何かと云うと「ここで食事をとろう」と話がまとまり、
早速ロンドナーsanとジィジが了解を取るため店内へ入って尋ねると、子供連れだと
云う事だけで  “NOの即答!”
何だよ!!
折角、日本から訪ねて来たのにねぇ〜意地が悪いねぇ〜。 がっかりでしたョ(怒)

★クラブ前の壁は 名声の壁 “Wall of Hits”(Wall of Fame) と云うそうで、
1953年からのリヴァプールでの ヒットチャートNO.1 が飾られています。

こちらの壁には、ヒットチャートで活躍したグループ名やアーチスト名が、レンガに彫
られて綺麗に埋め込まれており、知っているアーチスト名やグループ名も数多く発見。
「The Moody Blues」「Elton John」「Oasis」「Suzi Quatro」「Queen
「Rod Stewart」「Eric Clapton・Ginger Baker・Jack Bruce(Cream)」
「Gene Vincent(Be-Bop-A-Lulaで有名etc


当然の事のようにその中心には、BEATLES のグループ名と4人の名前が堂々と
鎮座していたのは云うまでもありませんが・・・・。


★この通りはBeatles Street と呼ばれるように、路上にはたくさんの看板やポスターが。

★ここが世界的に超・有名な ビートルズ・ショップ(The Beatles Shop)
Beatlesファン にとっては正に「宝庫」みたいな場所です。
ここでも Beatlesの4人 が温かくジィジを出迎えてくれました(^^)

このショップは小物からヴィンテージ・アイテムまでお宝が豊富で、Beatlesファン には
堪らない老舗中の老舗のショップなのです。
そのお陰でジィジは1時間余りも“至福の時間”を楽しませてもらいました。

あれこれと悩みに悩んだ末、ジィジはジョンの物を中心に数点ほど買い求めました。
でも然しながら書籍類が多かったので、帰りの荷物の重い事って云ったら・・・・笑
又、ジィジの「宝物コレクション」が増えたのは云うまでもありません(笑)

これでジィジの念願だった Liverpool Beatlesツアー は滞りなく全て完了。


只、残念な事が一つ・・・・
それは ビートルズ博物館(The Beatles Story) に行く時間が無かった事。
又、いつの日か再びリヴァプールを訪れる機会があったなら・・ 必ず行きたい! 
その時は、
Hard Days Night Hotelに宿泊して、今度はゆっくりと見て回りたいものです。
ビートルズ命” の老い耄れに、又新たに大きな「夢」が芽生えてしまいました(^^)


★楽しかった6時間余りに亘るリヴァプールの旅も、もう直ぐエンディングを迎えます。
リヴァプールの玄関口、ドーム型の広くて高い Lime Street 駅

世界で最初に鉄道が開通したのが、マンチェスターリヴァプールの間でした。
そう云えばこんな歌がありましたネ。 omiko・sanのご要望にお応えして(^0^)
曲名もズバリ  Manchester & Liverpool ♪ (※1968年リリース)
ピンキー&フェラス(Pinky & The Fellas)の曲で結構ヒットしたと覚えていますが・・。
  
ライム・ストリート駅の構内。
仕事帰りの混雑なのでしょうか? 結構な人混みでした。

リヴァプール発/PM18:15⇒ユーストン着/PM20:48
帰りも特急・ヴァージントレイン です。

帰りの車中ではドッと疲れが襲って来て爆睡でしたョ(笑)


最後になってしまいましたが・・・・
BEATLES が大好きで・大好きで リヴァプールBEATLES・ツアーを希望する方は、
絶対にリヴァプール在住 『 安部さんのツアー 』 が一押しのお薦めです。
 この方のツアー・ガイドは、何てたって(♪ アイドル ♪ じゃぁなくて)最高!!
穴場中の穴場を3時間余り、隈なく隅々まで案内してくれますョ。
満喫・満足すること間違いなし! 何よりも日本語が通じるのが一番嬉しい(^。^)


【お詫び・・・今までも何枚かあったと思いますが、UPした写真の日付が統一されていない
写真があります。 でも、あまり気にしないでお読み下されば幸いです。
原因は時差の関係です。デジカメの時差調整を忘れていました。申し訳ありません。】