東日本大震災

札幌から帰宅して、マッタリしていた11日の午後14時46分頃。
  突然・・ゆらゆらと大きな揺れ
“まるで湖の上でボートに乗りユラユラと揺れているような感じだ”
  超・気持ちが悪く、立っていられない!
常日頃、地震には結構馴れているジィジでも、こんな揺れ方は初めての経験だ。
慌てて家中の戸と云う戸を開け放して(※亡きお袋の教え通り)表(外)に出た。
(※何故、戸を開け放すかと云うと建物が歪んだ時、家の中に閉じ込められてしまうからだ)
でも、とても立ってはいられずに風除室のガラス戸に掴っていた。
すると一瞬、玄関前の
“地面が波打って揺れている様に見えた”
振り返って、直ぐ傍を流れる川面を見ると水面が大きく波打っている。
凡そ7〜8分も揺れたのだろうか?
我に返って出掛けていたバァバにメールを打つ。
何とか揺れが収まったので、家に入ってテレビをつける。
地震速報のテロップが流れていた。
  震源地は? 震度は? 何も判らない!
間もなくバァバが帰宅。
  地震が起きると津波が怖い!
直ちに 津波注意報津波警報大津波警報 へと変っていった。
程なく避難勧告の放送が地区内の防災スピーカーから流れる。
  直ぐに、逃げなければ・・・・
ジィジとバァバの住む所は海(太平洋)からの距離が50〜60mほど・・・・。
過って(15年程前)は200m近くあったのだが、地球温暖化の所為もあるのだろう?
近年、どんどんと侵食されて砂浜が消えてしまっている。 
途中に小高い丘が少しだけあるのみだ。 とにかく只々
 逃げるしかない!
津波の時はいつも“命あっての物種”と思い、何を置いても逃げる事が第一と決めている。
PM15時
取りも直さず、いつものように防災リュックや些少の食料・水等を車に詰め込み
空港の高台の道路(ジィジ家指定の避難場所)へと一目散に車を飛ばして逃げた。
当然、コッタもかごに入れて車に積み込んだ。
到着した時、
高台には既に数十台の車が列を作り、海に向かって整然と並んでいた。

早速、車のテレビ(ワンセグ)をつける。 特番で地震の詳細が放送されていた。
 震源地〜宮城沖  M〜8.8 (※後に9.0に訂正されたが・・)
近年に例を見ない “未曾有の大震災の発生だ!”
釧路の震度〜4(もっと有ったように感じたが・・) 津波の予想高さは6m強との事。
テレビの速報を見ていると、東北地方が大変な事になっている。
震源地に近い、気仙沼石巻東松島・大船渡・南三陸・仙台・釜石・女川・備前高田等々
見る見る内にそれらの町並が、強烈な濁流に押し潰されて奥へと流されてゆく。
一瞬の内に跡形も無くなるほどに何もかもを呑み込んで・・・
思わず武者震いがして、背筋に冷たいものが流れたような気がした。
これ以上、被害が大きく成らなければ良いが、と・・・・ 只々祈るばかりだ。


津波の来襲時刻が過ぎたPM17時頃、一度自宅に戻る。
長期避難の用意をしていると、津波の第2波襲来がPM19時頃との報道。
今度の方が大きくなるらしい・・・・・・。
再び、色々と車に積み込んでPM18時過ぎ、高台へと2回目の避難。
真っ暗闇の太平洋を眺めて、津波の猛威が鎮まってくれるのを只々待つ。
テレビに映し出される情報を確認しながら、PM21時過ぎ自宅へと戻る。
延べ5時間余りほど避難していた(※ある意味まっこと慣れたものだが・・)
帰宅後も、いつでも逃げ出せるように準備をして朝まで居間に転がっていた。
その後、数回程の小さな余震があるが、震源地附近に比べれば大した事は無い。
今はもう、すっかりと元の生活に戻っている。
だが 2日経った今も、我が家の玄関には防災リュックが置かれたままだ。
以上が今回の地震に於けるジィジ家避難顛末の報告です。



この地に住んで、「十勝沖地震」「釧路沖地震」「東方沖地震等々、大きな地震を3度も経験
しているジィジだが、 今回のは運が良かったのだろう。
よく世相が荒むと天災が襲来すると云われるが、とてもとても“他人事”などではない。
いつ何どき、今回の東北地方のように大きな被害に見舞われるかも知れないのだ。


『自然の脅威の前では人間など本当にちっぽけな塵(ちり)に過ぎない』
これまで人間が長い年月をかけて、一生懸命に築き上げて来た大切なもの(精神的・物質的)
全てが、一瞬の内に、いとも簡単に容赦なく奪い取られてしまうのだから・・・・。
日常から自然には謙虚になり、地震津波に対処する心構えの準備を怠ってはいけない。

その事を改めて、強く強く思い知らされた気がする。


最後に今回の地震津波で大きな被害を被られ、まだまだ余震や津波再来の恐怖に
一生懸命に耐えており、支援物資や避難場所の環境が不自由な状況にも耐えている、
特に東北地方の被災地の皆さんが、大きな悲しみから一時も早く立ち直られて、
元気に頑張って復興されるよう、心よりお祈りいたしております。

『頑張れ日本人! 頑張れ東北人!』


末尾となりましたが
『大丈夫かい?』 『無事に逃げたかい?』 と、
ジィジ&バァバの安否を気遣って、何度も電話やメールを入れてくれた
札幌の息子夫婦と娘、静岡の弟、更紗さん、十勝の従兄妹達、東京の従弟、あやっぺちゃん、
みっちょんさん、札幌のリエ娘、短パン大好きっ子chan、たくさんの友人達の皆さん、
折角頂いた連絡も、思うようになかなか電話(特に携帯)が繋がらず、
本当に本当にご心配をお掛けして、まっことまっこと申し訳ありませんでした。
ジィジとバァバは元気に生き延びてます(^^)